水銀に関する水俣条約の発効で振り返る水俣病問題の歴史

2017年11月10日 |

平成29年8月16日:『水銀に関する水俣条約』の発効

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2003年からUNEP(国連環境計画)で始まった『UNEP水銀プログラム』。世界規模で水銀による環境汚染を防止するための条約です。

2017年になって条約締結国が50カ国を超えて発効。条約が効果を発揮して、日本でも水銀使用製品に関する法律が改正されるなどの動きがありました。

世界規模の条約名に使われるほど大事件だった『水俣病問題』は、単純に人が病気になったというだけではありません。それに付随してさまざまな問題が起こりました。

昭和29年6月頃:猫のてんかん死から始まった水俣病

最初に水俣病を発症したのは人ではなく『猫』でした。昭和29年(1954)水俣湾周辺の漁村で、100匹ほどいた猫がほとんど全て狂って死んでいきました。当時は水俣病という概念がなく、『猫がてんかんを起こして死亡した』と考えられていました。

この時問題視されたのは「猫がなぜ死んだか」ではなく、「猫がいなくなってネズミが増えてしまったことによる被害」でした。しかし、この頃から診断が困難な中枢神経疾患の患者が増えてきていたのです。

昭和31年5月1日:4名の入院を受けて水俣病が公式確認

昭和31年5月1日、チッソ付属病院(新日窒水俣工場附属病院)の院長が水俣保健所に『原因不明の脳症状を呈する患者』4名の入院を報告した日が、水俣病が公式確認された日となりました。

昭和31年4月21日に重症な水俣病を患った児童が来院し、家族や隣人がまとめて3人が入院することに。すでに入院していた1名と合わせ、計4名の水俣病患者が同じ病院に集まったのです。

この時はまだ、水俣病問題がここまで甚大な問題となるとは考えられていなかったでしょう。

昭和28年12月15日に訪れた女児が、水俣病であると公式で認められた最初の患者です。この時はまだ水俣病という概念がなかったため、のちの調査で水俣病であることが認められました。

昭和31年5月28日:奇病対策委員会が発足し、原因調査が始まる

水俣奇病対策委員会が発足し、伝染病など、あらゆる観点からの研究が進められました。

結果、英国で発症したハンター・ラッセル症候群に酷似している症状として、水銀の可能性が取り上げられました。

昭和34年7月には『有機水銀説』が論じられましたが、すぐには認められませんでした。「工業廃水には有機水銀は含まれていない」、「他の国でも同じような工業廃水を排出しているのにこの病気が起こっているのは水俣市だけである」、という2点が、有機水銀説の反論ポイントでした。

重金属説、アミン説、爆薬説。水銀以外に原因を求める説が飛び交った

水俣病の原因は有機水銀であると認められるまで、あらゆる説が飛び交いました。有力であるとして調査がなされたのは、以下の3つです。

  • 重金属説:現地の魚介類を通じて重金属が人体に侵入したことによる中毒ではないかという説で、昭和31年11月3日に報告されました。水銀は重金属に当たるためこの説は正しかったのですが、確証が得られず、すぐには認められませんでした。
  • 爆薬説:敗戦時に水俣湾に捨てられた海軍弾薬庫の爆弾の弾薬が溶け出して水俣病を引き起こしたという説で、昭和34年9月26に日本化学工業協会より発表されました。現地調査の結果、爆薬が水俣湾に廃棄された事実がなかったことから、爆薬説は否定されました。
  • アミン中毒説:貝の腐った汁に含まれている『アミン類』による中毒症状ではないかという説で、昭和35年4月12日に東京工業大学・清浦雷作教授発表されました。実験では貝の腐った汁を飲まずに注射していたことから、「現実的にありえない」として、アミン中毒説は否定されました。

昭和34年10月:『ネコ400号実験』によって水銀と水俣病の因果関係は立証されていた

原因ではないかと推測されている工業廃水と類似の排水を作り、猫に投与する実験が行われました。実験に使われた400番目の猫『400号』は水俣病を発症し、工業廃水と水俣病の因果関係が立証されていました。

しかし、工業廃水を排出している会社の付属病院でこの実験が行われていたため、この事実は公表されませんでした。このことも、水俣病の原因が工業廃水であると発見されることが遅くなってしまった要因の1つです。

経済を優先してしまったがゆえの被害拡大

「工業廃水に汚染された魚介類が原因だ」とされると、経済的な被害が大きくなります。このことから「工業廃水が原因であって欲しくない」と思う有権者も多く、なかなか工業廃水による有機水銀説は認められませんでした。

そうこうしている間に『新潟水俣病』が発生してしまいました。昭和40年1月のことです。新潟水俣病が発生した周辺でも、工業廃水の不適切処理がありました。

新潟水俣病では農薬説などもありましたが、最終的に工業廃水が問題であるということが認められたのです。

結局、水俣病の公式確認から12年が経過した昭和43年(1968)9月26日に、政府の統一見解が発表されました。この発表をもって、『水俣病の原因は工業廃水である』ということが世間的に認められたのです。

もし、水俣病が発生した際に、経済を優先せず純粋に原因を追究していれば、新潟水俣病は発生しなかったかもしれません。

昭和43年9月26日:政府が見解を発表で『水俣病の原因論争』に幕が下りる

昭和43年9月26日、「水俣病の原因は工業廃水に含まれるメチル水銀である」という見解を政府が発表しました。この発表により、ようやく水俣病の原因論争に幕が下りることになります。

工業廃水の元でもあったアセトアルデヒドの生産も停止される運びとなり、原因が根絶されたのです。

しかし、すぐに汚染されてしまった環境がきれいになることも、水俣病の患者が回復することもありません。2017年になった今でも水俣病に苦しんでいる患者はいらっしゃいます。

平成29年9月24日:水銀に関する水俣条約第1回締約国会議開会

水俣病が公式発見されてから61年もの月日が経った平成29年(2017年)の今でも、まだ水俣病に関する訴訟が続いています。環境省は平成21年(2009年)に水俣病の最終解決を目的として水俣病被害者救済法を設立しました。

平成29年9月にスイス・ジュネーブで開会された水銀に関する水俣条約の第1回締約国会議には、胎児性水俣病の患者が出席し、「水俣病はまだ終わっていない」と発言しました。

水俣病から学び、受け止め考えていくべき公害問題

産廃が出るのは仕方がないことです。しかし、適正処理を放棄することは仕方のないことではありません。

水銀に関する水俣条約が2017年に発効されたという重みを受け止め、少しでも公害を少なくしようとすることは、産廃を排出する業者だけでなく、その恩恵を受ける私たちも考えなければならないことです。


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